「運動することは手段である。」
私の活動の中での運動の位置づけは、「高齢者の方が能動的に集うための手段」なのですが、そんな運動にも運動ならではの価値があると感じます。
では、どんな価値があるのでしょうか?
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私は高齢者向け運動教室をする際に、いつも「運動は手段だな」と思っています。
〇人が楽しく集まる場
〇能動的に外出する機会
こんなことのお手伝いをしたいと思っているので、 その手段が”料理教室”でも”お茶を飲むこと”でも”マージャンをすること”でもなんでもよくて、 私がたまたま得意にしていることが”運動(体操)”なんだと思っています。
しかし、運動には運動でないと引き出せないパワーがあるようで、そんなことを分かりやすく話してくれる方がいらして、そのお話に大変共感したので、それを元に私なりの考えを綴りたいと思います。
とある方がいいました。
「運動をすると気持ちが明るくなる」
「自然と前向きな気持ちになる」と。
私自身、駅まで歩く・散歩など身体を動かすことをすると、心が解放されるような気がします。
そして、私と一緒に体操をしている参加者の方々も、来た時より帰る時の方が元気になって帰っていかれます。
そのような方が増えたら嬉しいなと思う一方で、
それを引き出すための”高齢者運動指導の難しさ”があるように感じるのです。
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現在、高齢者向けの運動指導は、いろんな(職業の)方が行っているのをお見受けします。
個人的な感覚として、このことは大変良いことだと思い、運動指導者という人がいる時だけ運動するよりも、いつでもどこでも1人でも運動できる方が良いと思うので、現在の状況は、理にかなっているのではと思います。
しかしながら、高齢者に運動(体操)を伝えるということは繊細なことで、
「できない人は、見ていてください。」
「これができない人は、認知症の一歩手前です。」
「この歩き方をしている人は、転びやすいです。」などというような言葉があると、参加者の方はどう捉えるでしょうか?
また、例え言葉に出さなくても、
〇歩行練習の時に、フラツキのある方にも同じメニューを実施し、両サイドでがっちりサポートをする。
〇上手くできないであろうことが運動メニューの中に多発する。など。
こういった現状の中、運動に取り組むことで、
「私は劣っているんだ。」「この体操が出来ない人は転ぶんだ。」などという気持ちをもたらす可能性があり、参加者にとって”前向きな気持ち” ”明るい気持ち”を持ってもらうことと正反対のことになってしまっていないでしょうか・・・。
上記の記載した通り、高齢者の運動は
△身体を鍛える
△痛みの予防よりも、
〇心に刺激を与えること
〇継続参加したくなる場であること
〇前向きな気持ち・明るい気持ちで暮らす人を支援する(増やす)こと
が先決ではないかと考えます。
そのような運動指導・活動の場をますます増え、明るい気持ちで前向きに暮らす高齢者が増える体操教室ができますように♪