この時代だから、求められていると思うこと

最近、私のプライベートなところでも”介護”の話題が多くなり、お仕事関係の方(私の親世代)の親(もしくは義理の親)や同世代の友人の祖父母は、80歳代~の年代で、まさに介護の問題が出てくる年代ですね。

 

そこでよくお聞きする話しが、「(介護)認定受けて、ディサービスでも行こうよ」と言ってたけど、「そんなん行きたくない」とか「私はまだ認定降りへんやろ」と本人が言うので、置いておいたら、あっという間に低下が進んでいたということです。



介護サービスはよくできたもので、お仕事に関わらせていただいて感じることは、ディサービスは単に”介護をしてくれる”というよりも、その人の低下の具合や生活スタイルを適切に判断し、その人に合った支援をしてくれることと、

 

それをディサービス単体で行うのではなく、
他サービス・他事業所(短期的なお泊りや配食サービス、訪問看護など)も合わせて支援をしてくれるところが、素晴らしいと感じています。

 


すなわち私の目に写るディサービスは、お世話をしてくれるところではなく、”その人がこれからも長く地域で暮らしていけるように、先を見越した生活全般の支援(アドバイス)・見守り・他サービスへの橋渡しをしてくれるところ”だと思っています。

 


そんな風に思っている私なので、
私の両親が高齢になれば、できるだけ早くディサービスにでも通って欲しいと思っていたのですが、このご時世で、そんな簡単に社会保障を使えない時代になっていますね。

 


そんな時代だから必要なのが、地域コミュニティ。

私のやっているお仕事だったりするのですが・・・。

想像してみてください。


例えば、遠方に住む自分の親が85歳で、歩いていける場所にイス体操教室があり、通っていたとします。
子供として、それだけで安心できるでしょうか?

私なら「機能低下(認知症など)を感じることがあった時、誰かが気づいてくれるのか?」とか、「それを気づいたとして、誰かが適切に対応(受診や市町村窓口への相談を勧めることなど)をしてくれるのかな?」とか、心配になります。

人(特に友達など親しい関係)の機能低下や老化はナイーブな問題で、それを感じていても本人やその家族には言いづらいもので、
実際に、「なんかおかしいと思ってたけど、言い出せなかった」というお話もよく耳にします。

 

そんな時に、”友達”でない立場の人(今回の話しでは、イス体操の先生)がターニングポイントになるのではと思うのですが、地域で活動する私たちは、その役割を担えているでしょうか?

地域で活動する私たち運動指導者は、”単に運動を伝える人”じゃなくて、”コミュニティを円滑にする人”だったり、”介護・介護予防窓口との橋渡し役”だったり。

この時代だからこそ、そのようなことが求められている立場なんだと感じています。

私の行っているコミュニティは比較的元気で自立した方が多いのですが、そのコミュニティも続けていくことで、参加者は高齢になり、少なからずの機能低下の進みもあります。

昨今では、心配事もチラホラでてきたので、介護保険までとはいかなくても、”介護予防”の支援が受けることは出来ないかを尋ねたりと、市町村窓口や高齢者支援事業所(包括支援センターなど)との連携を密に持てるように工夫しています。

 

参加している方が楽しいことはもちろんなのですが、その周りにいる人(家族など)も、安心して送り出してもらえるようなコミュニティづくりをしていきたいものです。